KiKiK誕生ストーリー
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KiKiK誕生ストーリー
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息子がいじめによる脳内出血により、植物状態になったのは、彼が12歳の時。

病院からも余命数ヶ月と診断された息子を助けるため、生命と向い合い、脳と身体の研究・勉強をしました。脳神経学、良導経、細胞学、気学、生物学、栄養学、薬学、香学、色彩療法、音気学、、、手当たり次第何でも、息子をいまより良い状態にしたいとの思いは、もっと知りたい、もっとわかりたいと日ごとに強くなり、向上心につながっていきました。

医学者に会い、専門家に教わり、本を読み、調べ、実験し、考え、時には瞑想をし、睡眠時間が2~3時間の日もざらでした。たったその程度の時間さえ眠る間がおしいほど勉強にのめり込んでいきました。学生時代は、特に勉強家だったわけではないのに、勉強の目的が出来るといくらでも勉強することがあって驚きました。生命と向かい合う勉学そのものを、自分の全生活の中ですぐに実践する日々でした。

なぜなら、すぐに実践しなくては息子がいつ息をひきとってしまうかわからない状況でしたから。

その中で人間にとって一番重要なのは栄養素だと思い知りました。少量しか食べられない息子に、効率よく栄養を与えるため、世間でよいといわれる、ありとあらゆるものを試しました。ある日、医学誌でアメリカ人医師のエビデンス(証拠)に基づいた植物性脳内栄養素ホスファチジルセリンという物質の研究論文を読みました。

「コレだ!」とひらめきました。

身体のすべての機能は脳がつかさどっている以上、脳を活性化すること以外ですべての身体機能を向上させる方法はないという確信を勉学によって持っていました。この時出会った植物性脳内栄養素が安全で重要な助けになると実感したのです。

一般的には流通していない中、手掛かりを見つけ、サンプル分として少量入手することができました。ただ、製剤化して常に入手する方法はありませんでした。もとより、私にとっての栄養素とは、生死をかけた息子の日々の糧となりえるものでなくてはならず、ゆえに真剣に取り組み、利益など考えないクオリティ本位のものではなくてはなりません。なので、とうとう自力で作ることになってしまいました。

薬学について素人だったのに、多くの薬学書や医学書を勉強し、大勢の薬学者や医学者に協力していただいた賜物としてホスファチジルセリンのカプセル入りを作ることが出来ました。出来上がるまでの8か月の過酷なテスト中は、時が経つのが遅くって遅くって、とうとう完成した時の嬉しさは今でもはっきりと覚えています。

「人の口に入るものは生命に関わるもの。」
「どんな製品でもクオリティ本位で作る。」

加えて、素材・製造にかかわる人間のクオリティ重視。それ以降に開発する商品に通じる大切な、そして決して譲ることのできない信念です。

息子を助けるため、寝る間も惜しんで製品の研究・開発を行いなんとか意識を取り戻してから数年が経った頃、息子が私のことをわからない日がありました。息子の脳は、10歳11か月でストップしたまま、記憶を留めておくことができない状態でしたから。彼の記憶の中の母は、まだ若いころのままの私だったのでしょう。年齢を重ねた母親を認識できなくなっていたのです。寝る間を惜しんでの勉強と仕事と介護(親とW介護中だった)で、自分自身のことは二の次になっていました。

さぁ、大変です。

息子にお母さんじゃないと思われないため、母親とわかってもらうため、今度は自分自身をケアするための研究・開発を始めました。

肌理論を基に、美肌設計をスタートしました。女性の肌を若々しく保つには、化粧品はもとよりサプリメントも必要です。自分自身の肌で、何度も何度も試行錯誤を繰り返し、そうしてたどり着いたのが現在のKiKiKシリーズの前身である各商品たちです。

実践し、彼の記憶の中の顔にまで戻った母親の顔を、最後まで息子は喜んでくれました。また周囲の人達の評判になりました。そこで、あらゆる年齢層の女性たち、難病や障害を抱える女性たちがどのような人を前にしても、どのような場所にいようとも、誇りを持って輝く肌で上を向いて人生を歩むことができることを願って、KiKiKコスメティクスを発表しました。

「何歳になっても肌は美しくなり、お肌はみんな同い歳」
「美しさばかりではなく、健康と未来の安心をお届けする」

今も変わらない、製品開発における大切なコンセプトです。